ウェブキューズはビリヤードの全てがわかる総合情報サイトです。

World Top Interview special アール・ストリックランド

2024.04.12

第7回 9フィートとジャンプとUSオープン

同時代を生き、数々の激闘を繰り広げてきたフィリピンのエフレン・レイズとならび、史上最高のナインボールプレイヤーの一人とされているアール・ストリックランド。

今回のWorld Top Interview specialは、今もなおトーナメントでプレーし続けるストリックランドが、『Matchroom Pool』(マッチルームプール)代表のエミリー・フレイザーを聞き手に、ビリヤードを始めたきっかけからプロとしてのあり方までを赤裸々に語った興味深いポッドキャスト番組を翻訳・再構成。ここではその第7回をお届けする。

●9フィートとジャンプとUSオープン

F:今までのビリヤード人生を振り返って、最も良い思い出を3つあげるとしたら何ですか?
S:まず、父が私にビリヤードを紹介してくれた日です。それは4.5 x 9フィートで7フィートのバーテーブルではなくね。私はそれ以前にバーテーブルを見たことはあったけど、そこには今プレーしているような大きなテーブルがあった。それが私を引き込んだんだ。

F:2つ目は?
S:2つ目はジャンプショットを覚えた時だ。16歳で初めて飛行機に乗ってカリフォルニアに旅行に行った。私が初めて乗った飛行機は747だったよ。そこであるビリヤード場に行って、ある男に負けたんだ。ブレイク後のプッシュコールありでプレーしていたんだけど、この男は自分でジャンプショットが出来る位置に手球を動かし、私がパスするとジャンプショットをしたんだ。

F:ジャンプショットはその時初めて見た?
S:それまでジャンプなんて見たことがなかった。そして彼は私に勝った。私は頭に手を置いてこんな感じで座って考えた。「このショットを学ばなければならない、学ばなければならない。このショットをものに出来なければ、私はビリヤードをやめる」ってね。飛行機で帰る途中も、私はただ座って頭を手で抱えていたよ。「このショットを学ばなければ、学ばなければ」。私はジャンプショットに圧倒されていたんだ。

F:そこから練習を始めたんですね。
S:そう、私はジャンプショットを自分のものにしたんだ。それからの私はまるでジョニー・アップルシード【※1】のようだった。私は国中を回り、ボールをジャンプさせたよ。手球がジャンプすると相手は呆然として、「何をしたんだ? どうやってそれをやったんだ?」と言っていたね。ルーサー(・ラシター)【※2】と対戦した時、彼に「あんな風にボールをジャンプしてはいけない」と言われたけど、私は「ファウルせずにジャンプできるって言っているんだよ」と言い返した。彼はそれでも「いや、反則だ」と叫んでいたけど、レフリーが言ったんだ。「ルーサー、彼はキューを下から掬い上げて手球をジャンプさせている訳ではない、だからファウルではないよ。どうやったかはわからないけど」。それからしばらくして再び彼と対戦した。これは彼のキャリアの終わりの頃だったね。再び彼の前でボールをジャンプさせると、彼はファウルだと言ってきたから、私は「ルーサー、私たちはこれを数ヵ月前にすでにやったよ」。それでも彼はよっぽと腹立たしかったのか 大声で捲し立ててきたよ。再び協議した後レフリーは「ルーサー、ショットはセーフだが私たちには何がどうなってるのかわからない。私たちはそのショットを知らない」と彼に言ったんだよ。

※1〜アメリカ建国初期に実在した伝説的開拓者の1人。彼の誕生日である9月26日は「National Johnny Appleseed Day」として記念日となっている。

※2〜1940年代〜1970年代にかけてマネープレイヤーとしてだけでなくトーナメントプレイヤーとしても活躍したアメリカンレジェンドの1人。当時14-1が種目だった世界選手権を7度制している。

F:あなたのジャンプショットが知られるようになったのはいつ頃?
S:私は、自分のジャンプショットがテレビに映るのを楽しみにしてたんだけど、1983年にスティーブ・ミゼラクと対戦した時、ついにその機会が訪れた。私は美しいジャンプをテレビ中継で世界に初めて見せたんだ。恐らくその中継で、数千人の子供たちがビリヤードを始めただろうね。1つのショットだよ。1つのショットを私が1発撃った後、おそらく何百万人もの人々がその後すぐにビリヤード場に向かったはずさ。それは最高の瞬間の1つだろうね。

F:では、3番目は何でしょうか?
S:USオープンを5回制覇したこと。なぜなら、そんなことを達成できるとは誰も思わないだろうからね。唯一、シェーン(・バンボーニング)にはそれを打破するチャンスがある。でも急がないと。年をとってきているし、強いプレイヤーももっと多くなってきているから、彼をノックアウトできるからね。それでももし6回目を取れば、彼はこの地球上で最も偉大なプレイヤーになるだろう。6回目を取れればね。そう言えば昔、マスターズというトーナメントがあってそれはメジャーな大会で私はそれを5回制覇してるんだけど、そのことは誰も知らないんだ。実際、私はこれが認められれば16のメジャー大会を制覇しているんだ。

F:USオープンはなぜ特別なのだと思いますか? 勝つのが難しいから?
S:確かに勝つのは難しかったよ。ノーフォークはちょうどこの場所に似ていて、湿地帯で至るところに水があるからね。私はUSオープンを南極大陸のような場所でやってくれないかと思ってるんだよ。あそこならいつも乾燥しているだろ(笑)。テーブルを温めて乾燥させる必要もテレビ用のテーブルを作る必要もないしね。南極大陸は地球上で最も乾燥した場所なんだよ。多くの人々はそれを知らないだろうし、私も数年前まで知らなかった。南極には風がいつも50マイル、100マイルの速さで吹いているからなんだけど、私は職業を間違えたかもね、気象学者になるべきだったよ(笑)。

協力/Matchroom pool、翻訳・構成/森覺摩

第1回 ビリヤード愛がプレーの源
第2回 ギャンブルからトーナメントへ
第3回 少年時代のテニスと家出
第4回 世界選手権とモスコーニカップ
第5回 モスコーニカップの思い出
第6回 100万ドルゲットとロードの思い出

ページトップへ