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World Top Interview special アール・ストリックランド

2024.03.21

第2回 ギャンブルからトーナメントへ

同時代を生き、数々の激闘を繰り広げてきたフィリピンのエフレン・レイズとならび、史上最高のナインボールプレイヤーの一人とされているアール・ストリックランド。

今回のWorld Top Interview specialは、今もなおトーナメントでプレーし続けるストリックランドが、『Matchroom Pool』(マッチルームプール)代表のエミリー・フレイザーを聞き手に、ビリヤードを始めたきっかけからプロとしてのあり方までを赤裸々に語った興味深いポッドキャスト番組を翻訳・再構成。ここではその第2回をお届けする(第1回はこちら)。

●ギャンブルからトーナメントへ

F:10代のあなたはマネープレイヤーだったんですよね。
S:19歳の頃、私はテキサス州ヒューストンに住み、観光ギャンブラーとして生計を立てていて、毎晩400〜500ドルのゲームに参加していた。通常は夜の9時または10時ごろから始まり、一晩中プレーし、次の日にまたがってプレーすることもあった。そんなある日、ビリヤード場のオーナーが私に「ビリヤードトーナメントを開催するんだ」と言ったんだ。私は驚き「本当に?」と尋ねた。彼は「君に出てもらいたい」と言ったけど、私は躊躇し「いや、俺が上手いことがバレたらギャンブルで稼げなくなるからなあ」と答えた。当時、名の知れたギャンブラーや熱狂的なプレイヤーは、ビリヤードのトーナメントに参加しなかったんだ。なぜなら腕前がバレてしまうから。彼らがトーナメントに参加すれば、素人のフリができなくなり、儲けられなくなる可能性がある。だから私は「もしトーナメントに出場して勝ったら、みんなが俺が上手すぎると言うだろう」と言ったんだ。

F:それでも結局出場した?
S:オーナーは「心配するな。既にみんなが君は上手いって言ってるよ」と言って、私は結局、トーナメントに出場し、当然の結果優勝した。私はそのイベントで最も優れた選手だったからね。このトーナメントの勝利が私のギャンブルとトーナメントプレーに対する考え方を変える瞬間だった。最後のショットを成功させトーナメントで優勝した時、観客は拍手し、立ち上がったんだ。感動したよ。当たり前だけど、今までは賭け球に勝ってもだれも拍手してくれなかったから、皆から称賛されるのが嬉しかったし拍手が嬉しかった。その後少ししてギャンブルを辞めて、トーナメントプレイヤーに専念することに決めた。トーナメントの雰囲気やプレッシャーが好きなんだ。トーナメントはギャンブルよりもプレッシャーが大きいことにもすぐに気付いた。

F:ファンに見られていることもプレッシャーが大きくなる要因の一つですか?
S:それも一つの理由だね。ギャンブルで勝っても相手は立ち上がって拍手してくれないし、ギャンブルにはトーナメントの持つ雰囲気はない。トーナメントでファンから評価され、いろいろ肯定的なフィードバックを受けることが好きなんだ。

F:11歳〜19歳の頃夜ギャンブルをやっていた時、昼間は何をしてたんですか?
S:一日中寝てたよ。吸血鬼のような生活。たとえ賭けが長引いて昼間に終わって、その日の夜に寝て朝起きたとしても賭けは夜からだからね。通っていたビリヤード場は、テーブルが一段低く設置されていて、300人くらいの観客席から見下ろせるようになってた。グラディエーターのような感じ。私が誰かと対戦を決めると、観客の賭けが始まるんだ。競走馬のようなものだよね(笑)。

F:その頃は何の種目をプレーしてたんですか?
S:ナインボール。ストレートプールも好きだけど、やはりナインボールが私のゲームだね。人々は私がベストナインボールプレイヤーと言っている、まあレイズもかなり凄いけど(笑)。

F:その頃の賭け試合で思い出に残っているものはありますか?
S:殆どの試合が良い試合だった。通常は相手にハンデをあげていた。例えば、相手は⑥以上がゲームボールとか、それに相手ブレイク権をつけてあげるとかね。馬鹿げたハンデだけど、自分には本当に才能があったからどんなハンデでもよかったん。ジャンプショットを初めたのもその頃だよ。

F:プレーキューでのジャンプですね。
S:ナインボールは今と違って、試合中いつでもプッシュアウトが出来るルールだったから、わざとジャンプで入れられる位置に動かしてフルサイズのキューでジャンプショットしていたよ。

F:今とはその他のルールもだいぶ違うようですね。
S:そうだね。ナインボールはもっと時間かかるゲームだったし、昔はそんなにセーフティをしなかった。テキサスエキスプレスができててだいぶ変わったよね。昔のルールのナインボールだったら、今でもトップ10に入るだろうね、この歳でも。でも、ジャンプ専用キューが出た時は頭にきたね。長い間、フルサイズのキューでジャンプ出来る人はあまり居なかったからそれが有利だったのに、ジャンプキューで誰でも飛ばせるようになったからね。

F:それも含め、いろいろ昔と今では違っていると思いますが、どう考えますか?
S:道具は昔よりも良くなっているね。私にとってビリヤードで最大の変化はラシャ。昔は、じゃりじゃりとしたカーペットのようなもので本当に重かった、そして当時は今より良いストロークが必要だった。それは確かだよ。ポケットは今よりも広かった。もちろん、私たちは狭いポケットでもプレーできたし、実際、狭いポケットのトーナメントもあり、私はそれらの全てに勝ったからね。狭いポケットのテーブルを使ってトーナメントが行われるたびに、私はほぼ毎回優勝か準優勝だったよ。特に厳しいコンディションで、私は本当に優れたシューターだった。今は昔ほど上手くないけど、当時は狭いポケットのテーブルでもプレーできるという自信があったよ。

F:その他に変わった点はありますか?
S:ボールも良くなったと思うね。私は粘土製の的球と象牙製の手球で育ったからね。それはまるでボウリングのボールのようだった。手に取ると、粘土のボールよりもずっと重かった。でも昔のボールには一つ良いところがあった。それはスキッドしにくかったということ。ついさっきの試合でも、ひどいスキッドが起こったんだ。見たかどうか分からないけど、ひどかったよ。昔のボールならそんなことはなかった。道具で言えばチョークはほぼ同じかな。マスターチョークは150年前から存在していて、最近色々な新しいチョークも作られているけど、私はマスターほど良いとは思ってないんだ。

協力/Matchroom pool、翻訳・構成/森覺摩

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