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World Top Interview special アール・ストリックランド

2024.04.01

第4回 世界選手権とモスコーニカップ

同時代を生き、数々の激闘を繰り広げてきたフィリピンのエフレン・レイズとならび、史上最高のナインボールプレイヤーの一人とされているアール・ストリックランド。

今回のWorld Top Interview specialは、今もなおトーナメントでプレーし続けるストリックランドが、『Matchroom Pool』(マッチルームプール)代表のエミリー・フレイザーを聞き手に、ビリヤードを始めたきっかけからプロとしてのあり方までを赤裸々に語った興味深いポッドキャスト番組を翻訳・再構成。ここではその第4回をお届けする。

●世界選手権とモスコーニカップ

F:あなたは素晴らしいタイトルをいくつも持っており、偉大な成果が数多くありますが、初めての世界選手権について教えてください。
S:まあ、あなたも知っての通り、私の成果は今日のものよりもある意味価値が低いね。なぜなら今ではフィールドが広がり、国際的な選手がもっといる。打ち負かされる可能性がある選手が多くいるからね。以前はそうじゃなかったが、それでも私が対戦した選手達は、信じられないほど優れたプレイヤーだった。スティーブ・ミゼラク、バディ・ホール、マイク・シーゲル……。そして、今名前を挙げてないけど素晴らしいプレイヤーとキャラクターが驚くほどたくさんいたよ。あなたや今のファンは彼らについて何も知らないだろうけど、私は一日中ここでプレイヤーの名前を挙げていくことができる。彼らは今の選手達と同じくらい素晴らしかったんだ。

F:最初に世界選手権で優勝した時はどうでしたか?
S:今のビリヤードの素晴らしいところはプレイヤーの数が多いってことだけど、彼らは必ずしも私がプレーした選手よりも優れているわけじゃない。ただ数が多いんだ。私は最初の勝利を西ドイツで上げた。まだ、東ドイツと西ドイツに分かれていた頃にね。もう存在しない国だ。ただ、1990年当時にしては国際的なフィールドだったよ。世界選手権では翌年もう1回勝つことができた。私はその記録を保持している唯一のプレイヤーだ。2年連続で勝つのは難しいから、かなり良い記録だと思ってるよ。

F:世界選手権はさらにもう1回優勝していますね。
S:そう、一番思い出深いのは、カーディフで勝ったこと。あそこは素晴らしいアリーナだった。私はあのアリーナでまた試合を開催してほしいと思ってるんだ。あのアリーナのテーブルに飛び乗って勝利を祝うことができたけど、その時42歳だった。それ以来、上位には食い込めてないね。そう言えばある時誰かが私にこう尋ねたんだ「シェーンがUSオープンで勝つチャンスはあと何回ある?」ってね。彼のチャンスはあと数年しかないだろうね、40歳を過ぎると難しいよ。私が42歳で世界選手権に勝ったのは凄いことだったよ。レイズは私よりも年上で、確か46歳くらいだったと思うよ。

F:普段は1人でトーナメントを戦っているあなたが、モスコー二のようなチームイベントに参加した時はどう思いました?
S:1人でトーナメントを戦っていた1980〜90年の間に60以上のトーナメントに勝利して、その10年間はNo.1プレイヤーを守り続けてきたけど、 あの頃ビリヤードでチームイベントが行われるなんて夢にも思ってなかったよ。

F:あなたは何度も出場していますが、一番好きなチームは誰と組んだ時でしたか?
S:ニック・バーナー、ジョニー・アーチャー、リード・ピアース、シャノン・ドルトン、キム・ダベンポート、いいチームだったね(1998年)。負けたことは無かったんじゃないかな。その後、ジェレミー・ジョーンズが来て、彼はモスコーニで素晴らしい活躍をした。確かこの年も勝ったと思うよ。私はダブルスが特に強かった。ロドニー・モリスと組んだ時も何年も敵なしだったよ。彼とはスタイルが似ていたし、入れの強さでは2人とも世界一だったからね。よっぽどラッキーが続かない限り、そんな2人に勝てる訳がないよ。ジェレミー・ジョーンズは正反対で亀のようで、ウミガメって呼んでたんだ(笑)。彼はゆっくりプレーするタイプで私とは違うタイプだったが、ジェレミーとのダブルスも信じられないぐらい息が合ってたね。これも負けたこと無かったんじゃないかな。

F:もし今あなたが自分でアメリカチームを組めると言ったら誰を選びますか?
S:素晴らしい質問だね。あなたが今まで私にした質問の中で最高だよ。私の答えは想像もつかないと思うよ。実はこれについては日頃から考えてたんだ。シェーンと私、モスコー二カップが終わったら直ぐに私達2人はキャンペーンを行って、アメリカ中を回り、才能のある若者を一年掛けて発掘する。3人のまだ誰も知らない若者達さ。私は国内の色々な場所に行ってエキシビションをしているから、そういった若者を何度か目にしてるんだ。17歳〜21歳、それ以上じゃだめだ。フットボールのスカウトがするように、将来性のある若者を見つけるんだよ。

F:モスコー二のためのトレーニングはどのように行うつもりですか?
S:トレーニングはなし。欲しいのはナーバスにならないプレイヤーで、ヨーロッパチームが知らないプレイヤー。なぜならヨーロッパチームは相手のことがわからず不安になるかもしれないだろ。心理戦だよ。今選ばれているプレイヤーを悪く言うつもりは全く無いけど、3人の若くて緊張しないタイプで、もちろん才能に溢れたプレイヤーが最高の選択だと思っているよ。欲をいえば、6人チームに戻して、私が監督兼プレイヤー、それにシェーンと4人の若者というのがベストかな。馬鹿なアイディアと思うかもしれないけど、私は素晴らしいアイディアだと思うよ。

F:モスコー二にまた出たいと思っているんですね?
S:もちろん。私はまだ現役でプレーできるよ。もう辞めると言うまでは現役で戦えるね。ついさっきもトーナメントで戦ってたしね。まだモスコーニだって出られるさ。

協力/Matchroom pool、翻訳・構成/森覺摩

第1回 ビリヤード愛がプレーの源
第2回 ギャンブルからトーナメントへ
第3回 少年時代のテニスと家出

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