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World Top Interview special アール・ストリックランド

2024.03.19

第1回 ビリヤード愛がプレーの源

同時代を生き、数々の激闘を繰り広げてきたフィリピンのエフレン・レイズとならび、史上最高のナインボールプレイヤーの一人とされているアール・ストリックランド。世界中にファンを持つこのアメリカンレジェンドは昨年、『wnt.』(ワールドナインボールツアー)の招待制イベント『PREMIER LEAGUE POOL』にも出場するなど、今なお現役としてトーナメントでプレーしている。

昨年11月、YouTubeチャンネル『Matchroom Pool』(マッチルームプール)に、そんなストリックランドが、マッチルームプール代表のエミリー・フレイザーを聞き手に、ビリヤードを始めたきっかけからプロとしてのあり方までを赤裸々に語った興味深いポッドキャスト番組がアップされた。そこでWeb CUE’Sでは、『World Top Interview_Web CUE’S Special』として、その内容を翻訳・再編集。1961年に生まれた彼が、70年代から現在までどのようなビリヤード人生を歩んできたのかを、今回から11回のシリーズで詳しくお届けしていく。

●ビリヤード愛がプレーの源

エミリー・フレイザー(以下、F):アール・ストリックランド、まさに伝説的なスーパースター。今日はゴールデンブレイクポッドキャストにお越しいただき、本当にありがとうございます。お聞きしたいことは沢山ありますが、キューを初めて手にした時のエピソードからお話しいただけますか?

アール・ストリックランド(以下、S):初めて父が私をビリヤード場に連れて行ってくれたのは10歳の頃だった。キューを手に持って、最初のゲームをプレーし、ただそれだけで夢中になったね。ボールが転がる様子や、スピンしながらレールに当たったり、そして他の人がプレーする様子を見て感動したんだ。それがきっかけで、私はすぐにゲームの虜になった。当時、すぐにブリッジを作ることができ、キューの持ち方も知っていた。必要なのはビリヤード台を見つけることだったよ。それからの1年はプレーする機会がなかったけど、その経験を心に刻みつつ、常にビリヤードの夢を見ていた。それはまるで、私が生まれつきビリヤードをプレーするために存在していたかのような感覚だったよ。1年後もなお、ビリヤードをプレーしていない時でも、私はビリヤードに夢中だった。しばらくして、父は私にビリヤード場へ行くことを許可してくれたんだ。当時、子供たちがビリヤード場に入ることは一般的には禁止されていたけど、父はビリヤード場のオーナーを知っており、彼はオーナーに向かって「息子に時折ここでゲームをさせるつもりだ」と言い、それが全ての始まりだった。

F:お父様があなたを最初にビリヤード場に連れて行った理由は何でしたか?「お父さん、ここに行きたい」と言ったのでしょうか、それとも突然の出来事でしたか?

S:父は「町を出る時に、ビリヤードをするか?」と言ったんだよ。私はそのビリヤードが何を意味するのか全く理解していなかったけど、ただ「うん」と答えたんだ。それで一緒にビリヤード場に入ったよ。その場所は煙たくて暗く、様々な個性のある人がいて、当時の若い少年にはちょっと不向きな場所だったけど、それが私の最初のビリヤードの始まりだった。

F:その頃のビリヤード場というのはどんな雰囲気だったのでしょうか?

S:子供にとっては怖い場所だった。当時のビリヤード場は今とはかなり違い、トラブルに巻き込まれることもあったし。そして、少し不正直な人々もいたよ。でも、私は入った瞬間、怖さと同時にボールが回転する様子に惹かれて、まだキューも握ってないのに本当に一瞬で虜になってしまった。

F:いつからプロのトーナメントに参加するようになったのでしょうか?
ストリックランド:私は何年もこのゲームが好きだからプレーしていた。私にとって、お金のためではなく、愛のためにプレーすることが重要だった。ゲームが大好きで、そのことが私を他のプレイヤーとは異なる存在にしていると思ってうるよ。数年間、楽しみながらプレーしていたある日、私はゴミ収集人と対戦したんだ。まさに、町のゴミを収集する仕事をしている人だよ。セットマッチで、私が彼に勝った時、彼は怒り出した。「10セント賭けて勝負だ」と言われ、私は即座に「いいよ」と答えた。そして、彼に勝った。それで終わりだった。

F:その時、あなたは何歳でしたか?

S:おそらく11歳くらいだったと思う。その後、私はプレーする時に人々に10セントでプレーしたいかどうか尋ねるようになって、それがギャンブルプレーの始まりだった。そのままギャンブルのエピソードが増えていき、私は11歳から19歳まで非情なギャンブラーだった。私とプレーする全ての人の金を奪うつもりだった。修道女でも神父でも、相手が誰でも私が完勝。それでも私は愛のためにプレーしていたんだ。お金を稼がなくてはいけない時期もあったけど、それでも私はビリヤード愛のためにプレーしていたんだ(次回『ギャンブルからトーナメントへ』は3月21日にお届けします)。

協力/Matchroom pool、翻訳・構成/森覺摩

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