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【JO直前企画】前回大会女王・青木知枝インタビュー_002

2026.09.15

「どっちも諦めない」ための就活と、どん底からの復帰

前回は、驚愕の練習量(ほぼゼロ!)と、ダンプを操る過酷な日常を語ってくれた青木知枝プロ。しかし、その生活を手に入れるまでには、一人の女性プロとしての、そして一人の母親としての、出口の見えない「どん底の葛藤」があった。連載第2回は、彼女を救った恩人たちの言葉と、30代後半での過酷な就職活動、そして復帰後に目の当たりにした「女子プロ界の激変」を赤裸々に語ってもらう。

第1回 5時起床、ダンプ、そしてプロ。「回らない毎日」を愛する理由

■「産休・育休は、お前の頑張りで取った権利だ」

——お子さんの誕生を機に、環境が激変したと思います。プロ復帰にあたって、まずは仕事探しからのスタートだったんですよね?
青木 そうですね。1人目の時の産休・育休は、2人目の時よりも仕事もビリヤードもしっかりと休んだんです。でも、いざ復帰しようとしたら待機児童の問題でなかなか保育園に入れなくて。期間が延びているうちにコロナ禍に突入して、やっと入園式を迎えたと思ったら、翌日から閉園。本当に、世界中が真っ暗なステイホームをしていた時代でした。

——その時は、以前の職場(Link)の社員だったわけですが、悩んでいたとか。
青木 はい。当時の社員だと、どうしても夜遅くまでの勤務になってしまう。いくら早番に調整してもらっても、保育園の時間内には到底終わらないんです。でも自分の中では、産休・育休まで取らせてもらった恩があるのに、戻ってすぐに「やっぱりここでは働けません」なんて口が裂けても言えない……って、勝手に自分を追い詰めていました。

——義理堅い、青木プロらしい悩みですね。
青木 そしたら、当時の直属の上司と亀崎(武士)社長が、「お前、どうせ俺らに恩を感じてんだろ。バカじゃねえの」って(笑)。「産休・育休はお前が今までやった頑張りで取った権利なんだから、これから返そうとする必要なんてないんだよ。お前は全然、昼間働ける仕事を探していいんだぞ」って言ってくださったんです。

青木プロ現在もLinkで所属プロとしての活動を続けている

——亀崎社長、格好いいなあ。それ、泣いちゃいますよ。
青木 本当に有難かったです。「知枝がいいなら、所属プロとしての活動は続けてほしいし、応援するから」と言いていただいて、ようやく一歩踏み出せました。亀崎社長には公私共にお世話になっていて、私たちの結婚式で乾杯の挨拶をしていただいたり、今でも毎年、娘たちに「カメサンタ」としてプレゼントを送ってくださるんです。そんな温かい人たちに背中を押されて、就職活動を始めたんですけど……これが、もう一つの地獄の始まりでした。

■「私が人事だったら、私を不採用にする」

——ぶっちゃけ30代後半・子持ち・ビリヤードプロ、っていう条件での就活。現実はどうでした?
青木 マジでしんどかったです! だって、私が人事担当者だったら、絶対に私を採用したくないですもん(笑)。「30代後半、大した資格もなし。子供は小さくて急に休むかもしれません。土日はビリヤードの試合で遠征して不在です。でも、生活のためにそれなりの給料は欲しいです」……。自分で話しながら「私だったら絶対取らねえな」って思ってましたから。案の定、めちゃくちゃ不採用になりましたね。

——想像以上にシビアな現実ですね。
青木 やっとの思いで拾ってもらった最初の会社は、家から結構な距離が離れていたんです。でも社会保険も必要だし、正社員が良かったから背に腹は変えられなくて。その上、結構な肉体労働。朝は旦那も子供もまだ寝ている真っ暗な中に出勤して、帰ってきたら子供はもう寝ている。そんな生活を送っているうちに、ヘロヘロになって、プロなのに「2ヶ月間一度もキューを握らない」という時期がありました。

——プロが2ヶ月キューを握れない。それは、精神的にも相当キツかったんじゃないですか。
青木 キツかったですね。「これはダメだ、私、何もできない」って。子供が少し大きくなって「習い事をしてみたい」と言い出した時も、今の生活じゃ絶対にさせてあげられない。……っていうタイミングで、今の会社で働いている「A級さん」の知り合いに、ボロボロ泣きながら泣きついたんですよ。「もう、しんどいです……」って。

——それが、今の「ダンプを運転する事務職」に繋がった。
青木 そうです。最初はただの相談のつもりだったんですけど、「じゃあ、うちの会社に聞いてみようか?」と言っていただいて。同じ職種の方だったので、私の辛さを分かってくれたのが救いでした。今は朝7時半出社で早いけれど、子供たちの起きてる顔が見れるし、習い事もさせてあげられている。ようやく、人間らしい生活を取り戻せた気がします。

■「全員が決勝日のメンバー」――戦慄した女子プロ界の進化

——そうした葛藤を経て戦線に戻ってきたわけですが、復帰直後のツアーの手応えはどうでしたか?
青木 昔はトップシードとして、ランキングも4位以内を1年以上キープしていた。だから「朝はゆっくり、特別扱い」という人生に、どこか体が慣れちゃっていたんです。そこから一気にランキングがどん底まで落ちて、ブランクもある。あの状態での参戦は本当に苦しかったです。でも、何より驚いたのは自分の衰えじゃなくて、周りのレベルの高さでした。

第2子誕生後の復帰戦となったのは2024年6月の全日本女子プロツアー第3戦だった

——女子プロ全体のレベル、ここ数年で劇的に上がりましたよね。
青木 みんなめちゃくちゃ上手くなっていて、勢いのある若い子もどんどん出てくる。「これはもう、今の私には無理かもな」って何度も心が折れそうになりました。去年のツアーでも、敗者最終予選で私が必死に撞いている横で、ちーちゃん(河原千尋プロ)やたまちゃん(奥田玲生プロ)たちが、まるで決勝戦のようなハイレベルな試合をブワーッとやっていて。

——予選からその豪華メンバー。恐ろしい時代になりましたね。
青木 それを見に来ていた森村さん(雅一元プロ)に、「森村さん、見てくださいよ。このメンバー、全員が明日決勝トーナメントにいてもおかしくないでしょ? これが予選で半分いなくなるなんて、しんどすぎるんですよ!」って、つい本音が漏れちゃいました(笑)。森村さんも笑いながら同意してくれていました。

■「今の知枝で勝てる方法を見つければええんちゃう?」

——その「しんどい」状況で、また前を向けたのはなぜですか?
青木 美幸さん(栗林美幸プロ)の存在です。美幸さんほどの名選手ですら、復帰後はパッと勝てなかった。でも「やっぱり子供を産んだらキツいのかな」と周りが囁く中でついに優勝した。その姿を見て、「前例を作ってくれた! 私にも夢ができた」って心から思えたんです。

——さすが栗林プロ、後輩に希望の道を示したんですね。
青木 それをずっと後になってご本人に伝えたら、美幸さんらしい言葉が返ってきました。「『美幸さんだからできたんだ』って思う人はチャンスないけど、『同じ人間なんだからできるじゃん』って捉えられる知枝はチャンスあるわ」って。

ママさんプロの先輩でもある栗林美幸プロもトップ戦線で戦い続けている

——しびれますね、その言葉。
青木 あと、大井くん(大井直幸プロ)の言葉もデカかったです。復帰した私の試合中の顔を見て、「知枝、なんか顔がヤワ(軟らかく)なったな。前はもっと『やったんでー!』って顔してたぞ」って言われて。「え、ヤバいですかね? 戻した方がいいですか?」って訊いたら、「いや、ちゃうやろ。今の知枝で勝てる方法を見つけたらええんちゃう?」って言われたんです。

——今の自分を否定するのではなく、今の自分のまま勝つ方法を探せ、と。
青木 そうです。その言葉で吹っ切れました。練習時間が少なくても、身体能力、センスが「負」でも、今の自分だからこそできる「合理的な戦い方」があるはず。その確信が、2023年のジャパンオープン優勝という、最高の結果に繋がったと思っています。

写真提供:青木知枝On the hill!

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