【ビリヤードプレイヤー・ファイル】JPBA奥田玲生プロ編_02
コロナ禍からツアー再開へ、プロとしてのキャリアを積み重ねる日々
今年活躍したプロプレイヤー、将来が期待される注目プレイヤーのインタビューをお届けしていく「ビリヤードプレイヤー・ファイル」。Billiard Web CUE’Sがピックアップした1人目は、2025年はプールだけでなく、ヘイボール(チャイニーズエイトボール)のトーナメントにも積極的に参戦し、7月には待望のプロ初優勝を飾った『日本プロポケットビリヤード連盟』(JPBA)所属の奥田玲生プロ。
●プロフィール
名前:奥田玲生(おくだ たまみ)
生年月日:2002年3月18日生まれ(23歳)
所属(プロ入り年):JPBA54期生(2020年)
出身地:神奈川県
JPBA公式戦優勝数:1
スポンサー:アマリファミリーサロン、ウイングライフ株式会社、KeithAndy、Japan CSI Pool League、3seconds、NISHIKI BRAND、PREDATOR、リネアカンパニー(五十音順)
高校卒業と同時のプロ入りを志していた奥田を待ち受けていたコロナ禍というこれまで誰もが経験したことのない事態。そんな中で奥田プロは試合のない日々をどう過ごし、トーナメント再開後はプロとしてのキャリアをどう形作っていったのか……。
【ビリヤードプレイヤー・ファイル】JPBA奥田玲生プロ編_01
●一度立ち止まって自分を見つめ直すことができて良かった
——プロ入りが2020年、ちょうどコロナ禍で公式戦がしばらくなかった時期でした。
奥田:私がプロになる年の初めはまだ公式戦もあったので、2月の『関東レディースオープン』には出場して、その後で後期のプロテスト(6月)を受けようと思っていたんですけど、そこからプロの試合が全部延期になってしまいました。テストを受けてもいつ試合が再開されるか見込みがわからなかったんですが、もうこのタイミングでプロになろうと決心してしまっていたので、このままプロにならないよりは、なる方が自分のためにいいのかなと思って思い切ってプロ入りしました。
——プロにはなったものの、トーナメントで戦うプロ活動が全くできない日々だったと思います。その頃は辛くなかったですか?
奥田:プロになったらまずは全試合に出て、という流れをずっと当たり前にイメージしていたので、モチベーションが上がらないというか、プロになって試合を頑張ろうという気持ちにもなれない状態でしたし、自分の立ち位置もわかりませんでした。早く自分がどれだけやれるか試したいけど、それがいつできるのかわからないという、もどかしい感じが続きましたね。
——その間は、どのように過ごされていたのですか?
奥田:ビリヤード場も自粛が多くてハウストーナメントもあまりなく、できることが少なくなってしまったので、その時に自分のYouTubeチャンネル(奥田玲生のたまちゃんねる)を始めたりしてました。発信活動ができたり、あとは不謹慎かもしれませんがコロナ禍にプロになったというイメージを持たれたことも、今になってみると、本格的な活動を始める前の準備期間として、一度立ち止まって自分を見つめ直すことができて良かったと思っています。
——「プロを辞めようかな」という気持ちにはなりませんでしたか?
奥田:それはなかったです。「早く始まってほしいな、早くやりたいな」という気持ちの方が強かったですから。
●同じ立場で戦えるようになった喜びはすごく感じました
——そしてその期間を経て、2022年にようやくツアーが復活しました。どうでしたか?
奥田:1年目はランキングも一番下からのスタートでしたし、その年も試合が4、5試合と少なかったので、ランキングを上げるのは難しかったんですけど、試合に出てみて、やっぱりプロとして、同じ立場で戦えるようになった喜びはすごく感じましたね。アマチュアだった時に、プロの方と対戦して試合で勝ったとしても、同じ立場、同じ土俵で戦っているわけではないから「どこか違うな」って思っていました。
——実際にプロとして戦ってみて、何を感じましたか?
奥田:やっぱり「みんな強いな、なかなか大変だな」と思いました。プロプレイヤーは試合で勝つということもより求められますし、そのためには、もっと色々なことをしなきゃいけないんだなと感じました。
——2年目に入った2023年はランキングを徐々に上げ始めましたね。
奥田:そうですね。2年目に入って大阪の『藤井寺ハスラー』で行われた『全日本女子プロツアー第1戦』で初めて決勝戦に残ることができて、結果は準優勝だったんですけど、あの試合も大きかったです。公式戦の2日目、ベスト16に残ったのが初めてで「やっと決勝日に残れた」というところから、一気に決勝まで行けちゃったんですけど、そこから自分の中でも「いけるんじゃないか」という気持ちになり、少しずつ勝てるようになってきたのかなという感じです。
2023年、惜しくも敗れたものの初の決勝を戦った
——そして2024年には再び決勝戦を経験し、アベレージがさらに上がった感じでしたね。
奥田:はい、表彰台に上がれる機会も何度かあって決勝戦も撞けました。でも、次は優勝したいと思っていたので、この時の決勝戦は自分の中で悔いが残るものになってしまいました。ただ、すごく悔しい結果ではあったんですけど、勝てるチャンスが増えてきていることについて自分の中では、少しずつプロとして周りの人に「頑張ってるね」と言ってもらえるプレイヤーになれてるのかな、と感じつつありました。
2024年、6月の『全日本女子プロツアー第3戦』で2度目の決勝戦
——悔しい思いもされたと思いますが、2024年は自分の中でも少しずつ納得できるプレーができるようになってきたということですね。
奥田:はい、その中ではこの年の全日本選手権は、自分の中ではすごく自信になったし、忘れられない試合になりました。
2024年の全日本選手権では、JPBA勢として唯一ベスト4に勝ち残った(結果は3位タイ)
——確かに、この時も試合直後にお話を伺いましたが(2024年全日本選手権時のショートインタビューはこちら)良いプレーをされていました。
奥田:優勝できたわけではなかったですけど、表彰台に立てたこと、韓雨選手を相手に自分のプレーができて勝てたことも含めて、少しだけ「頑張ってきて良かった」思えた瞬間でした(以下次回へ続く)。
取材協力:DUYA CLUB関内店












