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【訃報】ジャパンプールの礎を築いた藤間一男氏が逝去

2026.02.04

日本と世界のビリヤード界発展に寄与し続けた人生

2010年冬、京都にて(撮影:髙田明)

2月3日(火)、『日本プロポケットビリヤード連盟』(JPBA)のオフィシャルサイト上に、日本だけでなく世界中を飛び回り、その生涯をビリヤード普及と発展に捧げて活動を続けてきた藤間一男氏の逝去の報がアップされた。享年96歳。

1929年、京都でビリヤード場を営む両親の長男として生まれた藤間氏は、大学卒業後に商社マンとしてサラリーマン生活を送った後、1950年代半ばにビリヤード場経営に転身し、プレイヤーとしての腕も磨いていった。

そして1954年には、当時日本最高峰のタイトルとされていた『全日本アマローテーション選手権』(現在の全日本アマチュアポケットビリヤード選手権大会)で優勝。さらに1961年、今も『日本アマチュアポケットビリヤード連盟』(JAPA)の全国主要タイトル戦の1つとして続く『名人戦』の創設に大きく関わり、初代名人の座に就き、その後7期連続で防衛をはたした。

初代名人となったのは31歳の時

藤間氏は日本のトッププレイヤーとして活躍しながら、1965年に創設され1967年に活動を開始した『日本プロポケットビリヤード連盟』(当時はNPP)の1期生として、浪江隆JPBA現会長らとともにジャパンプール初のプロプレイヤーとなり、その年には、ローテーションを種目に戦われた『第1回プロ選手権大会』(現在の全日本選手権)で優勝を果たしている。

その後はトッププロとしてトーナメントに出場するだけでなく、1970年代には、アメリカ、オーストラリア、フィリピン、インドネシア、台湾などへ自ら赴き、全日本選手権への海外選手の招聘、エキシビションやプールの普及活動にも大きく力を注いだ。現在では世界ナンバーワン強国の座を争う台湾では、ナインボール、14-1、ローテーションを紹介し、その時にプールを表す言葉として藤間氏が名付けた「花式撞球」が、現在でもそのまま使用されている。

1978年フィリピンにて。隣のボーダーTシャツはエフレン・レイズ

ビリヤードのスポーツ化が進み始めた1980年代後半からは、WPA創設に向け、請われてその大陸連盟となるアジア連盟(APBU)の創設に関わり、WPAの発足時には理事となり、以降は、トーナメントの運営や組織づくり、さらにナショナルチームコーチ、コーチの育成など、アジアを中心とした世界的なプールの普及と発展に貢献を続けた。

1999年当時のWPA理事メンバー。左から涂永輝氏、荘村徹氏。右から藤間一男氏、イアン・アンダーソン氏、サンドマン氏

2010年、WPAを離れ、『Qatar Billiards & Snooker Federation』(QBSF)のヘッドコーチ、テクニカル・ディレクターとして『ナインボール世界選手権』の開催と運営に携わっていた80歳の藤間氏は、『ビリヤードCUE’S』誌上で連載『藤間一男 わが撞球』の連載を開始。2011年まで続いたこの企画では、自らの筆で撞球人生を振り返るとともに、将来のジャパンプール、そして世界のビリヤードに対して様々な提言も行った。

2010年、カタールではナインボール世界選手権を統括

2016年にカタール連盟の職を辞してからも、APBUライセンス・プログラムの責任者としてアジア各国を飛び回る日々を送っていた藤間氏だが、2022年にAPBUがWPAとの軋轢により大陸連盟から排除されると、ここからワールドプールシーンとのつながりが消え、藤間氏にとっては辛い日々が続く。

それが解消するきっかけとなったのが2025年5月、KAMUI BRANDを世界的に展開する『株式会社エンヴィジョン』の平岡正人代表の招請に応じて、WPAのスポーツディレクターであり、WPA創設時のメンバーの1人でもある旧友のヨルゲン・サンドマン氏が来日し、26年ぶりに邂逅したことだった。

左から平岡代表、藤間氏、サンドマン氏(写真提供:平岡正人氏)

この再会をきっかけとしてWPAが藤間氏をテクニカルアドバイザーとして迎え、ここまで築き上げきたシステムを引き継いでいくこととなった。藤間氏は自身のfacebook上でもこのことを喜び「私は2027年までこの仕事を続ける覚悟である」と意欲を燃やしていた。

2025年11月、長きにわたりビリヤードの普及と発展に貢献してきたことを讃え『公益社団法人 日本ビリヤード協会』(NBA)より表彰を受け、2026年1月にパスポートが有効期限を迎えるため、更新とその後の渡航を計画していた藤間氏。90歳を超えてなお、海外での新たな仕事に挑もうとするバイタリティと、まだまだ日本と世界のビリヤード発展に貢献したいとの想いは一切枯れることがなかっただけに、突然の訃報に接しただただ残念でならない。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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