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日本のビリヤード界への熱い視線とWPAの現在地

2025.06.15

WPAヨルゲン・サンドマン氏独占インタビュー【第1回】

世界のプールを統括する『世界プール協会』(WPA)のスポーツディレクター、ヨルゲン・サンドマン氏。1980年代から日本のビリヤード界と深い関わりを持つ同氏が先日来日し、国内の統括団体とのミーティングを行った。その多忙なスケジュールの合間を縫って実現したWeb CUE’S独占インタビュー、その第1回は、サンドマン氏の現在の役割と今回の来日の目的、そして日本のビリヤード界のレジェンドの1人である、藤間一男氏との26年ぶりの再会で交わされた言葉、さらにはアジアビリヤード界の過去の混乱についても語ってもらった。

WPAスポーツディレクターとしての役割と来日の目的

――本日はお忙しい中ありがとうございます。まず、サンドマンさんの現在のWPAでの役職と、今回の来日の目的についてお聞かせください。
ヨルゲン・サンドマン(以下、S): 私は現在、WPAのスポーツディレクターであり、特別な担当を持たないWCBS(世界ビリヤードスポーツ連合)の理事でもあります。日本のビリヤードスポーツについては70年代から認識しており、日本の連盟、役員、選手とは常に非常に良好な関係を築いてきました。今回の訪問の目的は、以前からの知人たちに再会し、また、日本における私たちのスポーツの現状を正確に把握することです。

――スポーツディレクターというのは、具体的にどのようなお仕事なのでしょうか?
S:スポーツディレクターの業務は多岐にわたります。規則・規定に関する業務、アンチ・ドーピング問題、用具の仕様策定、コーチおよび審判の育成、選手へのイベント招待、加盟団体への出場枠割り当て、告知の記録管理、全ワールドチャンピオンシップを含む全ての主要イベントへの出席、抗議処理の最終判断、結果およびランキング管理、トーナメントの公認および承認など、非常に多くの業務を担当しています。決して暇を持て余しているわけではありませんよ(笑)。

――大変多岐にわたるお仕事ですね。最近の活動についてもお聞かせいただけますか?
S:今日(5月20日)ここ東京にいること以外では、ちょうど中国・成都で開催された『2025 Joy ヘイボールマスターズグランドファイナル』に出席したところです。その後、一旦帰国し、短い滞在を経てオーストラリアへ飛び、6月7日~11日にブリスベンで開催される『2025 Joy WPA ヘイボールパラスポーツワールドチャンピオンシップ』、そして6月21日~24日にゴールドコーストで開催される『2025 Joy ジュニアヘイボールワールドチャンピオンシップ』に参加します。その後も再び短い帰国を挟み、アメリカ・グリーンベイで開催される『女子エイトボール世界選手権』へ向かう予定です。

サンドマン氏はヘイボール関連のイベントにも積極的に出席している(写真提供:JOY World Heyball Tour

――これまでに何度か日本を訪問されていると伺っています。
S:訪問回数を正確に記録しているわけではありませんが、全日本選手権のために何度か尼崎を訪れましたし、2001年には秋田でのワールドゲームズに参加しました。その他にも会議で時折訪れていますので、おそらく6~8回程度というのが妥当な推測でしょう。

ジャパンプールのパイオニア・藤間一男氏との再会とAPBU問題

――先日、ジャパンプールのパイオニアである藤間一男さんとお会いになられたそうですね。サンドマンさんとは長年のご親交があると伺っていますが、久しぶりの再会でどのようなお話をされたのでしょうか。
S:藤間さんとは非常に長い付き合いです! 初めてお会いしたのがいつだったかはもう覚えていませんが、1988年にWPAの暫定理事会を設立した際、私が藤間さんをストックホルム(スウェーデン)での会議に招待しました。それ以前にもお会いしていたのだと思います。その後、私たちは長年にわたり共にWPAで活動しました。藤間氏は、私が企画したいくつかのイベントにも選手として招待され、その後、ドイツ・ベルクハイムで初のオフィシャルな『WPAナインボール世界選手権』が開催されました。1999年に私がWPA理事を退任してからは、お会いする機会は減りましたが、メールなどを通じて時折連絡を取り合っています。本当に久しぶりの再会で、実に26年ぶりだったと思います。ですから、話したいことは山ほどあり、実際には将来のことよりも、むしろ過去の思い出話に花が咲きました。

旧知の間柄である藤間一男氏(写真中央)と

――積もる話もたくさんおありだったでしょうね。
S:ええ、もちろんです。そして彼はWPAの現状などについても知りたがっていました。彼はかつてWPAの理事でもありましたから、現在のWPAがどのように機能しているのか、非常に興味を持っていたようです。数年前、藤間さんを含めアジアの多くの方々がWPAの運営に満足していなかった時期がありました。特に元理事であった彼にとって、WPA内の問題については思うところがあったようです。例えば、APBU(アジアポケットビリヤード連盟)がWPAから追放され、その後ACBS(アジアビリヤードスポーツ連合)に取って代わられたことなどは、少なからず不満を引き起こしたでしょうし、それは十分に理解できます。APBUは当時、WPAにとってEPBF(ヨーロッパポケットビリヤード連盟)に次ぐ2番目の加盟団体でしたから。

――なるほど。そのAPBUの問題について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか。藤間さんからも、その件について何かお話があったのでしょうか。
S:APBUはWPAの2番目の加盟団体でしたが、当時の加盟国は日本と台湾の2カ国だけでした。APBUがWPAから会員資格を剥奪された当時、私はWPAの運営には直接関わっていませんでしたが、主な理由としては、APBUが総会を適切に開催できなかったこと、そして必ずしも民主的な方法で組織が運営されていなかったことだと聞いています(以下、第2回に続く)。

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