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本場アメリカを変えたキックショット

2025.05.26

エフレン・レイズがアメリカに与えたディープ・インパクト②

写真提供:Bill Porter

アメリカ・プロツアー初参戦と同時に、アメリカのポケット・ビリヤード界に大きなインパクトを与え、その後トップ・キュースターとして君臨し、今やレジェンドとなたエフレン・レイズ。彼がプールの本場でデビューを果たした1985年とは、レイズとその襲来を受けたアメリカにとってどんな年だったのか……。

●彼は自分のしていることがちゃんとわかっていたんだ

この年のレイズ・アメリカ上陸とその成功、そして、それまでのアメリカにおけるポケットビリヤードの常識では推し量れないレイズのプレーは、アメリカのナインボールシーンに大きなインパクトを与えた。

この大会でレイズに僅差で敗れ3位になったアール・ストリックランドは、驚きとともに切迫したものを感じ、自分を含めた全てのアメリカのプレイヤーに対して、ポケットビリヤードに関してはアメリカの優位性を保たなければいけないとばかりに、それぞれの技術をワンランクアップさせなければいけないことを説いたという。

こうしてレイズは、アメリカ・プロツアーに殴り込みをかけた形になったが、この年に出場したトーナメントでは、コンスタントに高いパフォーマンスを見せて試合を盛り上げ、何時の間にか、観客から大物プレイヤー達まで、レイズのプレーを研究するようになっていった。

写真提供:Bill Porter

ニック・バーナーは、ビリヤードダイジェスト誌の取材に対し当時のことをこう語っている。

「彼のスタイルは、私たちのものとは大きく違っていたが、とても惹き付けられるものを感じた。それと同時に、彼は私たちのプレースタイルに多大なインパクトを与えたと言える。特にキックショットに関しては多くの気づきをもたらした。私たちが通常隠しにいくような球でも、彼はポケットしてしまう。彼は、ただ球を隠すだけ、というショットのためにゲームを無駄に落とすようなことは必要がないことを教えてくれた」

また、かのマイク・シーゲルも、
「彼を初めて見た時、彼がキックショットをしたのを見て笑ったもんだが、すぐにこんなに正確に、慎重にキックショットをする奴を見たことがないってことに気が付いたよ。私たちがキックショットをする時、大抵はちょっと推測するくらいだった。しかし、彼は自分のしていることがちゃんとわかっていたんだ。そして私は、彼のゲームからそれを学ぶことが如何に大事かを思い知らされたよ。確か私たちが一緒にプレーをした最後の4、5回は、彼にやられたと思うよ」
と語っている。

結局その年レイズは、幾つかのトーナメント、そしてスリークッションの試合に出場しただけにとどまったが、すでに3勝をあげている。そして、この劇的とも言えるアメリカデビューを境に、以降レイズは着実にアメリカでの戦いに自分をアジャストしていき、ツアーでの勝利を重ねていくことになる。

1985年は、エフレン・レイズにとっても、アメリカのポケット・ビリヤード界にとっても、一つのターニング・ポイントとなる、重要な意味合いを持つ年だったのである。

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