シーザー・モラレス、デビュー戦で勝利を挙げる
エフレン・レイズがアメリカに与えたディープ・インパクト①

写真提供:Bill Porter
フィリピンから日本そしてアメリカへ……。
ビリヤード神は本場アメリカ・プロツアー初参戦と同時に、アメリカンプールに大きなインパクトを与え、その後トップ・キュースターとして君臨し、今やレジェンドとなった。レイズがアメリカでデビューを果たした1985年、その襲来を受けたアメリカにとってどんな年だったのか……。
●リトルメキシコ辺りから来た田舎の子供
1985年、テキサス州ヒューストン。この地で開催された『Red’s 9-Ball Open』が、エフレン・レイズ(この時、レイズは「シーザー・モラレス」という変名で大会に参加している)のアメリカ・プロツアーデビュー戦であった。
当時のトーナメント・ディレクターは、「ひげ面の痩せこけた外国人が、自分のエントリー・フィーをぽんと放り投げたことは覚えているが、どうせヒューストンのリトルメキシコ辺りから来た田舎の子供だろう」というくらいの認識だったというが、フィリピンではすでに有名であったレイズのことを知る人間も、もちろん少なからずいたようである。
レイズはこの大会で、1回戦を10-0、2回戦では、当時オクラホマ州では5本の指に入る程のプレイヤーだったデビッド・マトロックを10-2で破り、順調に勝ち進んでいく。
そして、96人のプレイヤーによるトーナメントとなる4回戦に入る頃には、そのローラーコースターなみのスピード感溢れるストローク、冷酷無情とも言えるセーフティ、正確無比なジャンプショット、意志の力が働いているとしか思えないようなキックショットを目の当たりにした会場の中では、「モラレス」ことレイズの話題があちこちで飛びかいはじめたという。
レイズは結局、この後も順調に勝ち進み、決勝戦でウェイド・クレインを破り、初のアメリカ・プロツアー参加で初優勝を遂げ、10,500ドルの賞金手にしている。これが29歳の時であった(26日に続く)。