ミカ・イモネンへの追悼の声止まず
その足跡とキャリア最盛期のプレーを振り返る

9月29日(月)、ミカ・イモネンが52歳という若さでこの世を去ったニュースは、瞬く間に世界中のプールプレイヤーやファンの間を駆け巡った。
一時代を築いたレジェンドであり、2023年以降は病魔と戦いながらトップツアーに参戦し続け、フィンランドナンバー1プレイヤーであり続けた「アイスマン」。そのニックネームとは対象的に熱き魂を全開にしたプレーが代名詞だった稀代の戦士を悼む声は、今も止むことなく発信され続けている。
1972年12月17日、イギリス・ロンドンで生を受け6歳までを過ごしたイモネンは、フィンランドに戻りプールをプレーし始めると、スヌーカーもプレーしながら1991年にエイトボールで初のフィンランドタイトルを獲得。以降はプロプールプレイヤーになることを決意し、ヨーロッパを中心にしてトップツアーに積極的に出場し、1994年には奥村健が日本人初の王者となったアメリカ・シカゴでのナインボール世界選手権に21歳で参戦。この時は17位タイの成績を残している。
そんなイモネンが初めて日本でプレーしたのは1997年の『第30回全日本選手権大会』。そしてこの時以降イモネンは、25年以上に亘りほぼ欠かすことなく全日本選手権のために来日し『(株)三木』とのパートナーシップを得ながら日本のファンの前でプレーし続けた。

1997全日本選手権初出場時のイモネン(右)
2001年、着実にレベルアップを果たしてきたイモネンは、7月にイギリス・カーディフで開催された『男子ナインボール世界選手権』決勝でラルフ・スーケー(ドイツ)を下して遂に世界王者となり、ワールドトップスターの仲間入りを果たす。

2001年、遂にナインボール世界王者となった
以降はダービーシティクラシック、モスコーニカップ、USオープンなど当時のメジャーイベントで活躍を続けたイモネン。そのキャリアで最も輝きを見せたのは2008年、2009年の2年間だった。

2008年にはUSオープンを初制覇
2008年には、当時世界で最もタフなナインボールトーナメントとして世界中からトッププレイヤーが集って争われていたUSオープンを初制覇。その後に来日したイモネンは、これまで3度決勝に進み一度も勝てなかった全日本選手権で遂に優勝を遂げた。

2008年、4度目の正直で全日本タイトルを初獲得
ちなみにこの時の決勝戦の相手はいずれも、2006年にナインボール、2007年にはエイトボールで世界王者となっていたワールドトップスターの1人、フィリピンのロニー・アルカノであった。
続く2009年にはUSオープン連覇を達成し、さらに男子テンボール世界選手権で優勝を果たし世界2冠を達成したイモネンは翌年、アメリカの老舗ビリヤード誌『Billiards Digest』が選ぶ『Digest Player of the Decade- 2000s』(2000年代最高のプレイヤー)となり、2014年には『Billiard Congress of America』(BCA)が選出するホール・オブ・フェイム(栄誉殿堂)入りを果たし、レジェンドプレイヤーの1人となった。

最後の全日本出場は2023年、5位タイフィニッシュだった
これ以降もトップスターの1人として世界を転戦してきたイモネンは今年8月、自身が2度制覇しているUSオープンに出場。抗がん剤治療を受けながら気丈に戦ったwnt.メジャーでの65位タイが、世界一熱いアイスマンのキャリア最後のリザルトとなった。
プールが好きで戦いが好きでパーティも好きで、世界中に友達がいて日本にもファンの多かったイモネン。ここではその功績を改めて称えるとともに、熱き魂が安らかなることを祈りつつ、プレイヤーとして最も脂が乗っていた2008年の全日本選手権決勝の映像をご覧いただくことにしたい。
前述の通り、2008年に全日本選手権を初制覇したイモネンは、ナインボール世界王者となった2001年にはコリー・デュエル、その翌年の2002年はフランシスコ・ブスタマンテ、そして2005年には奥村健に敗れて涙を飲んでいる。
しかしこの年の涙は、大好きな日本でようやくタイトルを獲得できた喜びと、準優勝続きでも変わりないサポートを続けてきてくれた(株)三木への感謝が詰まった、イモネンにとって一生忘れ得ぬものだっただろう。
