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2017.12.20 トピックス

NBAとともに歩んだ足跡を懐う

公益社団法人日本ビリヤード協会 西尾学専務理事を偲ぶ会

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昨年10月、埼玉県蓮田市の『蓮田市立老人福祉センター』で行われたビリヤード台設置20周年記念大会で挨拶をする西尾専務理事。日本ビリヤード協会の顔として、このように数多くの現場に足を運びながら50年以上も活動を続けてきた(写真提供/大西KEI)


12月19日(火)、去る11月20日に享年85歳で逝去された『公益社団法人日本ビリヤード協会』(NBA)の西尾学専務理事を偲ぶ会が、故人ゆかりの地である東京・赤坂の『ダイニング・バー BBC』にて営まれた。

この日は、故人の親族、NBA理事をはじめ、NBAに競技団体として加盟する『日本プロポケットビリヤード連盟』(JPBA)、『日本プロビリヤード連盟』(JPBF)、『日本アマチュアポケットビリヤード連盟』(JAPA)役員、またJPBA、JPBFのプロ選手ら数多くが参列し、故人の足跡、功績を振り返りつつ改めて別れを惜しんだ。

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偲ぶ会には『日本オリンピック委員会』(JOC)、『日本体育協会』からの参列も含め数多くの関係者が列席。故人に杯を献げ、想い出を語り合いながら別れを惜しんだ


かねてよりビリヤードをこよなく愛するプレイヤーであった西尾学専務理事は、『日本ビリヤード協会』の活動に50年以上も携わり、協会の法人化が認可された平成2年(1990年)に専務理事に就任。以降亡くなる直前まで、ビリヤードの普及・発展のために力を尽くしてきた。

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献花台には在りし日の西尾専務理事の写真、そしてNBAと『日本ビリヤード商工連合会』(BCJ)より贈られた感謝状も飾られた


国内では競技ビリヤードの発展、生涯スポーツとしての普及という2つの大きな目標に向かい、海外においても世界的なキュースポーツ発展のため、日本の顔、そしてアジアの顔として様々な活動に取り組んできた西尾専務理事。1998年に開催されたバンコクアジア大会で初めてビリヤードが正式競技となり、2001年には秋田ワールドゲームズでも正式競技化されるなど、キュースポーツが世界的に大きな広がりを見せた時期にも、2005年にNBAが『日本オリンピック委員会』(JOC)へ正式加盟を果たした際にも重要な役割を果たしてきた。

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1998年、ビリヤードが初めてアジア大会の正式競技となった。西尾専務理事は国外でのキュースポーツ発展にも力を尽くしてきた


日本ビリヤードの様々な課題を少しずつ、確実にクリアしながら活動を続けるNBAの中にあって、常ににこやかに、スマートに人に接しながら事に当たってきた西尾専務理事の功績は、目に見えるもの、形に残るもの以上に大きかったと言えるだろう。

CUE'S編集部も創刊時からこれまで幾度となく、協会事務所や大会・イベントの現場でお会いし、直接取材をさせて頂く機会も数多くあった。そして、西尾専務理事がNBAの話題に限らず、ビリヤードの話をされる時の表情、その言葉には、いつもビリヤードへの深い愛情が感じられた。

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時に自らビリヤードの歴史ネタを提供してくれ、取材に同行するなどフットワークも軽かった西尾さん。何度か食事をともにした時に、若かりし頃のプレイヤー時代の話や当時の日本ビリヤード界の状況などを大いに語ってくれた西尾さん。ほんの少々話が長いのが玉に瑕でしたが、勉強になると同時に本当に楽しかったです。編集部一同、改めてご冥福をお祈りいたします。安らかにお休み下さい。