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2017.07.01 トピックス

【JO特集 Vol.13】Play back 2012

「新・旧」女王対決!!


2012年の『第25回ジャパンオープン』の主役は梶谷景美河原千尋だ。長年に渡って、日本の女子プロ界のトップに君臨し続け「女王」の異名を誇っていた梶谷と、2005年にプロデビューして以来、年を追うごとに頭角を現していった河原、この2人がジャパンオープンの決勝戦で相見えた。

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梶谷景美


実はこの2012年の決勝戦は梶谷にとって非常に重要な意味を持つ試合だった。2010年に河原がプロ入り後初のJPBAランキング1位に輝くと、その翌年の2011年にも1位を獲得。そのどちらの年も梶谷はランキング2位、河原の次点に甘んじていた。特に2011年は両者の直接対決が4回あり、その全ての試合で河原が勝利。いつしか河原は「新・女王」と呼ばれるようになっていた。梶谷はこれ以上河原に負け続けるわけにはいかなかったのだ。

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2011年JPBAランキング1位の表彰。左:栗林達、右:河原千尋


そしてジャパンオープン女子決勝(8ラック先取)の大一番で迎えた「新旧女王対決」。第1ラックは梶谷が先制したが、以降は河原がリードをする展開。梶谷は食らい付いて行くも、追い付くことはあるが逆転ができない。5-6のビハインドで迎えた第11ラック、梶谷は取り切り態勢に入っていたが、レストを使ったショットの際にまさかの球触りファール。残りを取り切った河原が5-7のスコアでリーチをかける。

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このとき、梶谷は「(河原が)最後はマスワリで締めくくるのだろうか」と考えていて、負けもやむなしという、半ば諦めたような心境だったという。だがその第13ラックで河原がブレイクスクラッチ。これを取り切り6-7にした梶谷は、続く第14ラックもセーフティから取り切り、7-7。フルセットの土壇場でついに逆転の糸口を掴んだ。

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最終ラックのブレイクは取り出しが見える。梶谷は順調に取り切って行き、残り2球、やや遠めのレール際の8番をシュートすると、手球は9番に薄く出た。一度構えてみたがキューが届かず、梶谷は苦笑しながら天を仰いだ後に、レストを取り出しショット。9番はやや厚めにコーナーポケットへ向かって行く。それがゆっくりと沈むの見届けた梶谷は、安堵の表情を浮かべながらガッツポーズ。河原と抱擁を交わしたあとに、客席に向かってもう一度こぶしを掲げた。

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これで梶谷は2001年以来、11年ぶり、5回目のジャパンオープン優勝を達成したことになった。後に梶谷は、この5回目の優勝を振り返り、「プレー内容も良く、何より応援してくれている人を喜ばせることができたので、今までで一番嬉しい優勝になりました」と語っている。その気持ちは、普段の試合では見せない梶谷のガッツポースが、何よりも物語っている。

結局、この年のJPBAランキングは梶谷が1位、河原が2位だった。敗れた河原は2年連続でジャパンオープン準優勝となったが、翌年の2013年に初優勝、そしてそこから4年連続でJPBAランキング1位に輝いていることは周知の通りだ。

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左から3位タイ/高橋有美子、優勝/梶谷、準優勝/河原、3位タイ/藤井寛美


男子の決勝日はフルセットの試合が目立った(CBNTではこの年の男子・ジャパンオープンを5試合収録しているが、なんとそのうちの4試合、「ワレン・キアムコvs川端聡」「カルロ・ビアドvsアントニオ・リニング」「カルロ・ビアドvs羅立文」「リー・ヴァン・コルテッザvs藤本共史」がフルセットだ)。

川端は決勝戦でワレン・キアムコ(フィリピン)とフルセットの死闘を演じたが、惜しくも敗れ、2003年以来の日本人優勝とはならなかった。その雪辱は翌年、土方隼斗が、河原との日本人ダブル優勝で果たすことになる。

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左から3位タイ/カルロ・ビアド、準優勝/川端、優勝/ワレン・キアムコ、3位タイ/ラミル・ガレゴ