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2017.06.20 トピックス

【JO特集 Vol.4】JO30年史その1

〜From 1988 to 2000〜

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第1回大会の優勝を始め第12回大会まででJO通算4勝を挙げた奥村健(現JPBF)


『ジャパンオープン』の誕生は1988年。この前年には『北陸オープン』もスタートするなど、現在の『日本プロポケットビリヤード連盟』(JPBA)が全国的に広がりを見せ始めた、日本のプロポケットビリヤード興隆期のことだった。

第1回大会は東京・新宿の『ロサンゼルスクラブ北新宿』が会場となり、以降1998年の第11回大会までは、現在のような特設会場ではなく、既設のビリヤード場が戦いの舞台となった。記念すべき第1回大会の優勝は奥村健(現JPBF)。この大会は男子のみの開催で、女子部門がスタートしたのは第2回大会からであった。

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1996年の第9回大会優勝の高橋邦彦はその翌年に全日本選手権、さらにその翌年に世界選手権を制した


日本のプロ達はもちろん、台湾、フィリピンからもトッププレイヤーが出場し、黎明期からハイレベルなオープン戦として幾多の激闘が繰り広げられてきたJOに最初の転機が訪れたのは1999年のこと。前年にビリヤードがアジア大会の正式種目となり、高橋邦彦がナインボール世界王者になるなど、日本のビリヤード界が『ハスラー2』ブーム以来の活況にあった時期だ。

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JO最初の転機は1999年に開催された『スーパービリヤードWEEKS』であった。


JOは、3週に渡って連続開催されたビリヤードイベント『スーパービリヤードWEEKS』のトリを飾るトーナメントとして、その舞台を初めて東京・原宿の『原宿クエストホール』特設会場に移し、エフレン・レイズ、フランシスコ・ブスタマンテのフィリピン2トップはもちろん、台湾からは趙豐邦、さらにアメリカからはジョニー・アーチャーも参戦して華々しく開催された。

この第12回大会には大会史上最多数のビリヤードファンが観戦に訪れ、JOがプロスポーツとして、またエンターテインメントとしても日本最高レベルの見応えあるビリヤードトーナメントであることが改めて証明された。決勝戦は奥村健vs利川章雲。日本のトップ対決となったこの死闘を制した奥村は、ジャパンオープン通算4度目の優勝を果たした。

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『ニューピアホール』以前の最後のJOを制したのは川端聡だった


翌2000年の第13回大会の決勝会場は東京・六本木の『バグース六本木店』。1999年に続いて参戦したジョニー・アーチャーとの決勝戦を劇的な幕切れで制した川端聡が、JO初制覇を果たしたこの戦いが、現在の『ニューピアホール』特設会場に移る前の最後の試合となった(次回:『JO30年史その2〜From 2001 to 2003〜』に続く)。