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Chapter 31 AQUARIA

2022.08.09

作/Donato La Bella 文/渡部嵩大 監修/関浩一

第31話

翔と雫の試合はお互いに一歩も譲らない展開が続いていた。雫はブレイクから再びゲームを取り切り、ゲームカウントを6-5とした。彼女は相変わらず全く同じプレーを繰り広げていた。雫自身は自然体に見えるのに、手球は不自然なほど、正確に同じ軌道を描く。観客は何か幻覚を見せられているような感覚に陥っていた。

龍、すみれ、明の3人は一緒に試合を観戦していた。前日までとは何かが違う翔の様子に龍は首を傾げた。

「どうしたんだ? 今のところ翔はどうにか食らいついてるけど、手球がどんどんコントロールしにくくなってるみたいだな。簡単なショットでも手球が滑ってるというか……。滝瀬さんがプレーしてる時にはそんな様子は一切ない。間違いなく相手の精霊が影響してるはずなのにどこにも姿はないし……」

「ただ見えないからといって、そこに何もないという訳ではない。滝瀬雫はこの試合を終わらせるための周到な準備を進めている。翔がこのまま気付かず、同じようにもがき続ければ、チェックメイトという訳だ」
明は眉をひそめた。

実際、翔の中での違和感は強まっていた。いつも通りに体を動かせている自覚はあるにも関わらず、手球が思い通りに動かない煩わしさに苛まれていた。ネモスの力を借りてどうにか耐えているものの、症状は悪化するばかりである。このままでは雫に追い付くことすらままならない。何か自分以外の原因があるに違いないことはわかっていたが、それを知る術を翔は持っていなかった。

12ゲーム目のブレイクで翔は的球同士をくっ付けて残してしまった。このままでは直接ポケットするコースがないため、手球を繊細にコントロールしてかたまりを崩さなければならない。

翔はネモスの力を借りて、強力な回転をかけたショットを放った。ネモスは手球に向かって急降下した。ところが、手球も的球もあらぬ方向へと散ってしまい、雫にチャンスを譲る結果となってしまった。
「一体なんなんだこれは!?」

翔はこのままでは決して勝てないことを悟った。雫は残りの手球を慎重に処理し、7-5とした。

雫のブレイクショットで新しいゲームが始まった。やはり同じラックを繰り返すかのように球を入れ続けている。翔が勝つためには、雫がブレイクしたゲームを奪うほかない。そのためには、彼女がどのような細工を施しているのかを見破らなければならない。雫の一挙手一投足を翔は注意深く観察した。しかし、やはり雫の様子におかしいところは見当たらなかった。いよいよなす術がなくなった翔は、助けを求めるように龍たちの姿を探した。すると、龍の隣で明が落ち着けとジェスチャーを送っているのが目に入った。

この試合中、翔はプレーでしかネモスの力に頼っていなかった。だが、精霊の力は決してそれだけでないことを翔はすでに経験から知っていた。翔は一人で思い悩むことをやめ、今一度ネモスに身をゆだねることにした。目を瞑って心を落ち着けると、徐々にネモスとのつながりが強くなる。やがて2人の感覚が共有されると、ネモスは自らの目を通して試合を見るよう翔に言った。

その光景を目の当たりにして、翔はあっと驚いた。翔と雫が試合をしているテーブルには雪が積もっていた。雪は今も降り続いていて、見上げると会場の天井よりもさらに上空で、氷をまとったエルフが舞っていた。翔は、初めて雫の精霊を見ることができた。
「やっとわかったぞ!」
プレーを続けていた雫は翔の様子に気が付いた。
「君はアクアリアに気付いたみたいだね。流石は鷹上翔くん。でも、残念だけどもう手遅れみたい。雪は積もっていく一方だよ」
⑩をポケットし、雫は8-5とリーチをかけた。

翔は立ち上がり、ブレイクの準備をした。手球を組みながら、ネモスの目を通してテーブルを見渡した。そこにあったものは翔の想像をはるかに超えていた。テーブルのほとんどは雪に覆われていたが、雪のない細い道がラシャの上を走り回っていた。それは、雫のゲームで手球が描いた軌跡と完全に一致していた。

雫が毎回同じプレーをしていたのは単にそのレイアウトが得意だったからではなく、常に雪を避けていたのである。雪はアクアリアが作り出した結界のようなもので、その中では球のエネルギーが吸収されてしまう。試合が進むにつれ雪は深くなり、その影響がはっきりと表れるようになったのであった。この状況を利用するしかない、と翔はすぐに切り替えた。

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