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2017.06.29 トピックス

【JO特集 Vol.11】 Play back 2010

フィリピン「レジェンド」対決実現、女子優勝は「大眼妹」


この年の男子・ジャパンオープンはナインボールの「ラストイヤー」となった。この翌年の2011年から現在に至るまで、ジャパンオープンはテンボールで開催されている。大会には男子349名、女子94名の計443名が参加した。

この前年までは男子フィリピン選手がジャパンオープンを5連覇しており、JPBA男子勢は彼らの進撃を食い止めたいところだった。決勝日に残った日本選手は柴田裕介、西村被アマ、望月雅文(当時アマ)、川本比呂志所勘治菅原利幸大井直幸栗林達の8名。そこから「日本vsフィリピン」という構図の試合は数多く生まれた。その中からフィリピンの「神様」、エフレン・レイズに立ち向かった大井直幸と栗林達の試合に焦点を当てつつ、プレイバックしていく。

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エフレン・レイズ


まずベスト8(9ラック先取)で大井直幸がエフレン・レイズと対戦。バンキングを制したレイズは、開始から3連続マスワリスタート。いきなりビハインドを背負った大井だったが、1点を取り返すと、次ラックのブレイクから「お返し」の5連続マスワリで形勢は一気に逆転。その後もマスワリを絡めて8-5までレイズを追い詰める。

だが、このまま負けないのがレイズの「神」たる由縁。大井が上がり際に苦戦していると、すかさず8-7まで詰め寄り、そこからマスワリで8-8のフルセット。最終ラックは、連続マスワリでレイズが決着をつけて、大井に集まっていたギャラリーの期待を一蹴した。

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大井直幸


大井に続いて、準決勝でレイズに挑んだのが、ベスト4に唯一残った日本人・栗林達。栗林は3連続マスワリを繰り出すなどしてレイズと互角の戦いを演じ、試合は5-5でイーブンのまま終盤に向かう。栗林にとってはここが勝負所だったが、ミスが出てしまい、それを逃さず加点したレイズが、8-5でリーチをかけた。その後も栗林がなんとか食らい付くも、最後はレイズが空クッションでラッキーイン、そしてそのまま取り切り。代名詞の「エフレン・マジック」で試合は決した。

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栗林達


迎えた男子決勝戦(11ラック先取)。日本のトップ2人でも倒せなかった「神」を圧倒してみせたのが、同じフィリピン人の「ジャンゴ」・フランシスコ・ブスタマンテだった。ファイナルの舞台で実現したレジェンド対決に、観客達は色めき立つ。

そんな中でブスタマンテはスタートから3連続マスワリ、追撃の2連続マスワリと一気呵成の攻撃で、あっという間にスコアは10-1。土俵際でレイズが3連続マスワリを返すも、すでに大勢は決しており、11-5でブスタマンテがジャパンオープン優勝。11ラック先取にも関わらず、試合時間は1時間しかかからなかった(CBNTでの収録時間は、わずかに49分! )。

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フランシスコ・ブスタマンテ


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これだけのマスワリが見られたのも、ナインボールという種目ならではのことだろう。決勝日という舞台で連続マスワリを平然と出すプロ達のアベレージたるや計り知れない。もちろんそれは男子だけのことではない。台湾の「大眼妹」こと周婕妤(チョウ・ジェイユー)は、女子・ジャパンオープンの決勝日という、極限の戦いの最中に印象的なマスワリを演出したプレイヤーの1人だ。

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周婕妤


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李佳


周はベスト8で女王・梶谷景美を倒すと、準決勝では河原千尋に3発のマスワリをお見舞いして、決勝戦に激進。ファイナルの相手となったのは中国・李佳(後にJPBA加入)。李も夕川景子、並木咲子の日本勢2人を下して勝ち上がって来た。決勝戦の下馬評は圧倒的に周が優勢。周は前年の「アムウェイカップ」を制した実績を誇っていた。

しかしいざ蓋を開けてみれば勝負は互角、いや、李が周を押していた。李はスコアを8-5にして金星に手をかける。だが決勝戦のプレッシャーが李を襲う。次ラックで李がシュートミスをして8-6。周がマスワリで8-7。連続マスワリで8-8。ラスト・ラック、ようやく撞き番が回って来た李だったが、痛恨のセーフティミス。周が手堅く取り切りを決め、逆転勝利でジャパンオープンの栄冠を手にした。

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結果からすれば、男子はフィリピンが6連覇、女子は台湾が2連覇、ということになった。しかし勝負は紙一重で、日本人選手達も決して海外選手に遅れを取っていたわけではない。この大会では、海外選手達のプレーがより光っていて、人々の記憶に残る試合を演出していたということだ。特に男子は、ジャパンオープンの「ナインボール時代」の区切りを付けるにふさわしい、圧巻の試合内容が展開されていたと言えるだろう。