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トピックス

2019.06.30 トーナメント

【JO開幕直前情報Vol.3】ジャパンオープン30年史2

From 2001 to 2010

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ニューピア元年の男子決勝は逸野暢晃(右)が趙豐邦(台湾)を下して優勝


2001年3月25日、東京・竹芝の『ニューピアホール』特設会場に男子16名、女子8名のトッププレイヤーが集結した第14回大会は、現在に繋がるエポックメイキングな大会となった。『ジャパンオープン』は、この年から『全日本選手権』の「SG1」に次ぐ「G1」のトーナメントにグレードアップされたのだ。

男子359名、女子69名、計428名が出場したこの大会でG1タイトルを初めて獲得したのは、男子・逸野暢晃と女子・梶谷景美。逸野は大勢のギャラリーから大声援を受けながら、当時の台湾ナンバーワンプレイヤーでナインボール世界王者でもある趙豐邦を決勝戦で撃破して優勝。逸野にとってこれがプロ初タイトルでもあった。

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梶谷は2001年にJO3連覇を達成


女子の梶谷は、第14回大会に前人未到のJO3連覇がかかっていた。ファンからの期待とのしかかる大きなプレッシャー、そして「女王は勝って当たり前」の空気の中、梶谷は今も変わらぬ冷静で正確なプレーを貫き、決勝戦で曽根恭子を下して勝利。その強さを改めて印象付けたのだった。

2003年の第16回大会では、世界から強豪が集う大会に成長を続けるJOの舞台で、アマチュアプレイヤーがタイトルをその手にした。神奈川アマチュアポケットビリヤード連盟(KPBA)所属の西嶋大策(現JPBA)が、準決勝でエフレン・レイズ、決勝戦でラミル・ガレゴというフィリピンのトッププロに勝利して戴冠。JO史上初の快挙を達成した西嶋はその2ヵ月後にプロ入りを果たした。

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西嶋が史上初のアマチュア優勝を達成


JOが華やかにビッグトーナメントに成長していくのに応じて、海外からタイトルを目指して参戦するフィリピン、台湾を中心としたトッププレイヤーも増加。そのプレーレベルは高く、JPBAのトップランカーを含めた日本勢は苦戦を強いられるようになり、2004年の第17回大会から2006年の第19回大会までは男女ともに海外勢にタイトルを奪われた。そして2007年、20回の節目を迎えたJOで開花したのが、2004年3位タイ、2005年準優勝と着実に成績を上げてきた福家美幸(栗林美幸)だった。

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福家美幸、開花宣言!


この時決勝で戦ったのが、前年覇者の蘇憶雲(台湾)、女王・梶谷景美、2002年大会優勝の夕川景子を倒して勝ち上がった、当時プロ入り3年目、22歳の河原千尋。決勝戦こそ福家の3連続を含む5つマスワリなどで圧倒された河原だったが、この2人の対決もまた、JPBA女子の未来を感じさせるものだった。

2008年の第21回大会では、福家が見事に連覇を達成し、この年自身初となる年間ランキング1位を獲得。男子ではフィリピンのデニス・オルコロが決勝戦で青木亮二を相手に驚異の7連続マスワリを決めて優勝を飾った。

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全てが完璧なナインボールを見せたオルコロ


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女子決勝は梶谷景美vs福家美幸


続く2009年の第22回大会、男子決勝はラミル・ガレゴ(フィリピン)vs羅立文(台湾)となり海外勢対決を制したガレゴが優勝。この後、羅立文はJPBA入りを果たした。女子では夕川景子が2度目の優勝をかけて決勝の舞台に立ったが、陳禾耘に競り負けて惜しくも準優勝にとどまった。

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夕川景子


2010年の第23回大会、男子はナインボールの「ラストイヤー」となった。この翌年の2011年から現在に至るまで、ジャパンオープンはテンボールで開催されている。そしてこの大会では、大井直幸栗林達の現在のトップ2が決勝トーナメントでエフレン・レイズに挑んだが力及ばず。決勝戦はレイズvsフランシスコ・ブスタマンテのレジェンド対決となり、この戦いを制したブスタマンテが大会3勝目を挙げた。

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フランシスコ・ブスタマンテ


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周婕妤


一方の女子では、台湾の「大眼妹」こと周婕妤が素晴らしいプレーを魅せ、決勝で中国の李佳(現JPBA)相手に逆転勝利を決めてJO初制覇を達成した。この結果、男子はフィリピンが6連覇、女子は台湾が2連覇。しかし勝負は紙一重で、日本人選手達も決して海外選手に遅れを取っていたわけではない。この大会では、海外選手達のプレーがより光っていて、人々の記憶に残る試合を演出していたということだ。特に男子は、ジャパンオープンの「ナインボール時代」の区切りを付けるにふさわしい、圧巻の試合内容が展開されていたと言えるだろう。